1963年神奈川県生まれ。1969年横浜市立下野谷小学校に入学。1年時から玄武館坂上道場(横浜市鶴見区)で剣道を始める。1975年横浜市立寛政中学校に入学。1981年神奈川県内の剣道強豪校である東海大付属相模高校を卒業後、神奈川県警に奉職し、現在に至る。2008年、神奈川県警察剣道師範に就任。剣道教士七段。
1990年~2001年まで12年連続で全日本剣道選手権大会に出場し、優勝6回・準優勝2回(うち、2連覇2回。1996年~2000年の5年間、決勝に進出し続けた)の偉業を成し遂げる。また世界剣道選手権大会団体優勝4回・個人優勝1回、全国警察剣道大会優勝2回、全国警察剣道選手権大会優勝6回・準優勝1回・第三位3回(うち、3連覇1回・2連覇1回)、国民体育大会(剣道競技)団体優勝1回・第三位2回、全日本選抜剣道七段選手権大会優勝5回・準優勝3回など、戦後の剣道史上最高・最多の戦績を残した上に自分で新記録を樹立し、またそれを自分で塗り替えたことから、「平成の剣豪」「平成の超人」「剣道界の鉄人」「努力の天才剣士」などと称される。
宮崎が初出場初優勝を果たした当時の全日本剣道選手権大会は、現在と異なり段による出場制限があったため、宮崎は六段を取得するまで出場できなかった。初優勝の翌年も優勝し、それまで長く続いてきた「全日本剣道選手権は連覇できない」というジンクスを史上初めて打ち崩したことでも有名。数々の実績をあげても決しておごらず、常に自然体で臨む姿勢が高く評価されている。
全日本剣道選手権大会神奈川県予選には2001年を最後に参加せず、選手とコーチを兼任していた。2003年10月の全国警察剣道選手権大会での3回戦敗退(対米屋勇ー戦)を最後に現役引退し、以降はコーチに専念。現在は師範として数々の指導実績をあげている。