武道の「心」を伝え育む -「礼法」再考- 2008年12月7日開催

宮崎正裕氏

1963年神奈川県生まれ。1969年横浜市立下野谷小学校に入学。1年時から玄武館坂上道場(横浜市鶴見区)で剣道を始める。1975年横浜市立寛政中学校に入学。1981年神奈川県内の剣道強豪校である東海大付属相模高校を卒業後、神奈川県警に奉職し、現在に至る。2008年、神奈川県警察剣道師範に就任。剣道教士七段。

受賞歴

  • 1997年、第46回「神奈川スポーツ賞」受賞(剣道競技者の同賞受賞は、1960年第9回の中村太郎以来、37年ぶり2人目)
  • 1999年、第49回「日本スポーツ賞(特別賞)」受賞(オリンピック出場選手以外の同賞受賞は史上初)

戦績

1990年~2001年まで12年連続で全日本剣道選手権大会に出場し、優勝6回・準優勝2回(うち、2連覇2回。1996年~2000年の5年間、決勝に進出し続けた)の偉業を成し遂げる。また世界剣道選手権大会団体優勝4回・個人優勝1回、全国警察剣道大会優勝2回、全国警察剣道選手権大会優勝6回・準優勝1回・第三位3回(うち、3連覇1回・2連覇1回)、国民体育大会(剣道競技)団体優勝1回・第三位2回、全日本選抜剣道七段選手権大会優勝5回・準優勝3回など、戦後の剣道史上最高・最多の戦績を残した上に自分で新記録を樹立し、またそれを自分で塗り替えたことから、「平成の剣豪」「平成の超人」「剣道界の鉄人」「努力の天才剣士」などと称される。
宮崎が初出場初優勝を果たした当時の全日本剣道選手権大会は、現在と異なり段による出場制限があったため、宮崎は六段を取得するまで出場できなかった。初優勝の翌年も優勝し、それまで長く続いてきた「全日本剣道選手権は連覇できない」というジンクスを史上初めて打ち崩したことでも有名。数々の実績をあげても決しておごらず、常に自然体で臨む姿勢が高く評価されている。
全日本剣道選手権大会神奈川県予選には2001年を最後に参加せず、選手とコーチを兼任していた。2003年10月の全国警察剣道選手権大会での3回戦敗退(対米屋勇ー戦)を最後に現役引退し、以降はコーチに専念。現在は師範として数々の指導実績をあげている。

指導実績

  • 全国警察剣道大会
    • 優勝(2004年~2005年)
    • 準優勝(2006年~2007年)
  • 全国警察剣道選手権大会
    • 優勝(2005年:高鍋進)
    • 第三位(2004年:高鍋進/2007年:正代賢司・北条忠臣)
    • 第五位(2003年:正代賢司/2007年:高鍋進)
  • 全日本剣道選手権大会
    • 準優勝(2007年:高鍋進)
    • 第三位(2005年:北条将臣/2006年:高鍋進)
    • 優秀選手賞(2003年:高鍋進/2007年:正代賢司)
  • 全国青年大会(剣道)
    • (団体)準優勝(2007年)
    • (個人)優勝(2007年:亀井隼人)

主要な記事

  • 「勝ち慣れのスキ 剣道日本一6回、宮崎正裕が弟に敗れた時」日本経済新聞運動部編、『敗因の研究』日本経済新聞社、1999年
  • 月刊『致知』致知出版社、2007年1月号(特集:心を養い生を養う)
  • 「駆ける魂」『日本経済新聞』2008年2月12日~2月13日、夕刊